保有水平耐力計算の矛盾

前項で書いたように、1990 年代の中頃から「プログラムによって保有水平耐力を求める」という習慣が定着してきました。ただし、これは「今まで手計算でやっていたことをコンピュータが肩代わりした」というにはとどまりません。やり方そのものが変わってしまったのです。

それまで行われていた保有水平耐力計算は「節点振り分け法」と呼ばれるもので、(いくつかの問題はあるものの)これは手計算で簡便に保有水平耐力を求められるすぐれた手法でした。これに対し、コンピュータの時代になって主流を形成したのが「増分解析法」と呼ばれるもので、こちらは最初からコンピュータ――それもかなり高性能のもの――の使用を前提としています。
両者の違いについてここで立ち入った説明をするつもりはありませんが、その当時によくなされたのが、「節点振り分け法 = 略算法」「増分解析法 = 精算法」という区分けでした。 これからは精算法の時代である というわけです。
これをもう少し推し進めると、「略算法 = いい加減」「精算法 = 正しい」という図式になるのですが、このような考え方は現在も残っていて、実際、手計算であれプログラムであれ、節点振り分け法を使用した構造計算書を提出すると、審査機関でかなり問題視されるようです。だからみんな使いたがらない。

でも、これは変ですね。
1981 年に施行され、そして現在にいたるまで使われつづけている保有水平耐力計算というシステムは、明らかに「節点振り分け法で保有水平耐力を求める」ことを前提に作られたものなのです。
だから、「増分解析法」とはそもそも相性がよくない。そして、その相性がわるいものを無理やり擦り合わせようとすると当然ながらギクシャクとしてくる――それが現在の「保有水平耐力計算」の状況なのではないでしょうか?

保有水平耐力という値は単独では何の意味ももちません。それを「何か」と比較することによって意味をもち出すわけですが、それが「必要保有水平耐力」――大地震で倒壊しないために建物に要求される耐力――で、保有水平耐力をこれで割った値が「保有水平耐力比」注) と呼ばれます。これが 1 以上であれば「大地震で倒壊しない」とされるわけです。

注)
そういえば、この「保有水平耐力比」という用語も耐震偽装事件の折に初めて登場したような気がするのですが、私の思い違いでしょうか?

増分解析法により、私たちは保有水平耐力の「精算値」を手に入れることができました。では一方、その値の分母となるべき「必要保有水平耐力」の方は「精算値」なのでしょうか? それとも「略算値」でしょうか?
保有水平耐力の求め方は変わっても、必要保有水平耐力の方の求め方は 1981 年以来何も変わっていません。
ここにある必要保有水平耐力の算定プロセスとは、簡単にいうと、まず個々の部材の性能を所定の式で求めてランクづけし、それを集計した後に表を引くと自動的に建物の性能が決まる、というものです。
たしかには見事なまでにシステマチックに作られていて、それはそれで称賛に値すると思うのですが、しかし、胸を張ってこれを「精算値である」といえる人はいないはずです(もし本当にこの値が「建物のエネルギー吸収能力」をいい当てているのならば、その後に登場した「限界耐力計算」も「エネルギー法」もいらなくなるはず)。
結局、現在使われている保有水平耐力比とは 精算値を略算値で割った という何やらチグハグな性格の値なのです。さきほど、「保有水平耐力計算と増分解析法は相性がよくない」と書いたのはそういう意味なのでした。

規定を作る側もこのあたりに気づいていないはずはありません。
しかしその矛盾を解消しようとすれば、おそらく、現在の計算規定を根本から見直すことになってしまうでしょう。もちろん、そんなことはできません。せいぜいできるのは現行の規定に多少手を入れて矛盾点を繕うことぐらいですが、それがほかでもない、2007 年に改定された建築基準法だったのです。

構造設計者の方ならばご存知かと思いますが、ここでは必要保有水平耐力を過小に評価(耐震偽装)することのないように、部材種別の判定時の「応力の割増率」――これは最終的には必要保有水平耐力の「低減率」として機能するわけですが――という値が細かく定められました。
さきほど、「必要保有水平耐力は精算値ではない」と書きましたが、上の事実がこのことを裏付けています。
割増率というのは、「このあたりは分からないことが多いので、値を割増すことによってとりあえず安心しておこう」という時に使われるもので、確定値に対して使われることはない。
ようするに、割増率という値は「よく分からないもの」に対して使われるのですが、ここで問題なのは、対象とするものが「よく分からない」のと同様、あるいはそれにも増して割増率という値が「よく分からないもの」である、ということです。
もっとも、それを「問題である」と考えるかどうかは「人によりけり」ですけど。

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