新耐震設計法と保有水平耐力計算

下に示すような、同程度の規模の二つの建物があったとします。

  • ルート 1 に定める壁量の規定を満足しているが保有水平耐力の検証は行っていない
  • 壁量規定は満足していないが、保有水平耐力の検証を行い、保有水平耐力比の値が 1 を超えることを確認している

さて、これらのうち、どちらの建物が「地震に強い」といえるでしょうか?
議論の余地なく前者の方であろう、というのが私の考えです。

新耐震設計法で新たに定められた「壁量」という規定は、それまでの様々な震災データから統計的に得られた「一定量の壁がある建物は大きな地震被害を受けない」という命題をベースにしたものです。また、この時同時に定められた「偏心率」「剛性率」という規定も、実際の被害建物の精査から得られた結果をもとにしています。
ところで、主として 1995 年の阪神淡路大震災以降、「新耐震設計法の施行後に建てられた建物は耐震性が高い = それ以前に設計された建物は耐震性に問題があるかもしれない」ということがいわれ出しました。はたしてこれを額面通りに受け取っていいのかどうか、議論の余地がないわけではありませんが、それにしても、新耐震設計法が建物の耐震性の向上に何らかの寄与をしたことをまったく否定することはできないでしょう。
ただし、それは「保有水平耐力の検証」というツールが耐震設計のラインナップに加わったことによるものではありません。上に掲げた「壁量」「偏心率」「剛性率」というような規定が設けられ、建物の耐震性能が総体的に底上げされたことによるものなのです。
もちろん、これは私の推測に過ぎません。
そのように考える具体的な根拠とデータを示せ、といわれても困るのですが、ここでは、阪神淡路大震災の被害が主として低層建築物に多かったこと、そして現在とは異なり、低層建築物をルート 3 で設計するという事例は非常に少なかったはずである、という推測をあげておきます(これについては後述する)。

繰り返しますが、日本の耐震設計の要諦は「建物の自重の 20% の水平力で許容応力度計算を行う」ことにあります。そして、その枠組みを補強し、さらに強固なものにしたのが「壁量」「偏心率」「剛性率」という規定だったのです。これに対する保有水平耐力計算とは、許容応力度計算の正当性を「追認」したものに過ぎない。許容応力度計算を「補強」しているわけではありません。
そういうわけで、「壁量も偏心率も剛性率も規定を満足していないが、しかし保有水平耐力を確認しているので安全( = 安心)である」などといわれると、私はどうしても首を傾げたくなるのです。

前項では、耐震偽装事件以降に広がった「保有水平耐力至上主義」とでも呼ぶべきものについてふれましたが、じつは、このような傾向はもっと前からありました。そのきっかけは、耐震規定が変わったためでも、設計者の意識が進化したためでもありません。ただたんに「コンピュータが高性能化した」ことによるものです。
1981 年に施行された保有水平耐力計算はもともと「手計算」を前提にしたものでした。その当時、現在のようにコンピュータが普及し、プログラムを使った構造計算が日常的に行われる、というような状況は想像だにしていなかったのです。
一度でも手計算で保有水平耐力を求めた経験がある方なら分かるはずですが、これには相当な労力がかかります。少なくみても、ふつうの設計の倍はかかる。だから、高さが 31 メートル超の建物ならば諦めざるを得ませんが、それ以下の建物をルート 3 で設計するには「それなりの覚悟」が必要でした。
逆にいうと、そのことが心理的な抑制をもたらし、設計者は「何とかして壁量や剛性率や偏心率の規定を満足させよう」としたわけです。電卓を叩いて保有水平耐力を求めることに比べれば、その方がずっと楽ですからね。

その状況が変わり始めたのは 1990 年代に入ってからで、「プログラムを使って保有水平耐力を求める」という習慣が日常化してくるのは、マイクロソフト社が 1995 年に Windows95 を公開したあたりからになるのではないでしょうか。
さきほど、「 1995 年の阪神淡路大震災より以前に設計された低層の建物でルート 3 で設計されたものはそんなに多くないはず」と書いたのはそのあたりを根拠にしたものですが、そんなに的外れな推測ではないと思います。つまり、「阪神淡路大震災によって新耐震設計法の正しさが立証された」とはいっても、これをもって「保有水平耐力計算の正しさが立証された」とすることはできないのです。

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