保有水平耐力について考える

保有水平耐力至上主義

前回の「震度 7 について考える」の続きになりますが、まず、そこで得た結論(らしきもの)を以下に記しておきましょう。

現在の建築基準法に定める耐震設計とは「建物の自重の 20% の水平力を作用させて許容応力度計算を行った建物は相当大きな地震にも耐えられる」という経験則に基礎をおくものである。
過去の実績からして、この設計法には十分な妥当性があると考えられるのだが、しかしこの設計法の最大の欠点は「人にうまく説明できない」ことにある。

しかしその一方、だからといって、構造設計者がこのことに大いに困惑しているかというと、別にそういうわけではありません。
その理由は、幸か不幸か、構造設計者がそれについて説明を求められるような場面に遭遇することは滅多にないからです。何かと世間を騒がせている「震度 7 」という話題が、構造設計者の間でほとんど取り上げられることがないのは、そのあたりにも理由があるような気がします。
ところで 1950 年の建築基準法の施行以来、このことに関する「説明」――それも全国民に向けた、声を大にした説明――を求められたことがたった一度だけありました。2005 年の「耐震偽装事件」です。注)

注)
そういえば、先頃「一級建築士の免許証の偽造」という事件がありましたが、その時の新聞記事を見て驚いたのは、「耐震偽装はないのか」と書かれていることでした。「免許証の偽造」からただちに「耐震偽装」を連想するのはどうかと思いますが、逆にいえば、それほどまでに 1995 年の事件の衝撃度は大きかった、ということなのでしょう。

これは某建築士が「建物の自重の 20% の水平力」とすべきところを作為的に 10% で設計し、そのまま建物が建ってしまった、という事件でした。なにしろ基準値の半分の力で設計されているのですから、「かなり危ない」ことは間違いはずです。
しかしこれに対し、「では実際にどれくらい危ないのか」とたずねられると、多くの関係者は返答に窮してしまう。その理由はすでに書いてきたように、建築基準法が表わす耐震性能とは、もともと「説明するのが難しい」ものだからです。したがって致し方ないのですが、それにしても、「かなり危険」「非常識」では説明にならない。
そこで国土交通省はどうしたのかというと、ご存知のとおり、

保有水平耐力比が 0.7 を下回っているので(耐震偽装されたマンションは)震度 5 強で倒壊するおそれがある

と断定し、各地のマンションの「保有水平耐力比」の値を次々に公表することにしたわけです。
いま考えると、このコメントは国が公表するにしてはずいぶんセンセーショナル、あるいはジャーナリスティックな表現に思えるのですが、既存のボキャブラリを使って「どれくらい危険か」を表わそうとすると、どうしてもこういう用語を選択をせざるを得なかったのかもしれません。注)

注)
それにしても、所定の地震力の 50% で設計しているのに、保有水平耐力比、つまり必要とすべき耐力に対する実際の耐力の比はどうして 70% に「上昇」したのでしょうか?
もしそういうものだとすれば、所定の 70% の地震力で設計しておけば保有水平耐力比は 1 を超え、「震度 6 強でも倒壊しない」ということになるかもしれない。少なくとも、国はこのあたりについてちゃんと説明すべきだったと思うのですが、私が知る限り、そのようなコメントはありませんでした。

じつは、この「保有水平耐力比が 0.7 を下回ると震度 5 強で倒壊する(かもしれない)」という情報は、建築構造設計を仕事としている、いわゆる世間から「専門家」とみられている人間にとってもまったくの「初耳」でした。それまで、そんな話は聞いたこともなかったのですが、しかし、このあたりの内容は前回の「震度 7 について考える」と重複するので省略します。

ここで取り上げたいのは、このコメントの真偽ではなく、これをきっかけとして、構造設計業界――そういう業界があるのかどうかはよく知りませんが――の中に生じたある「変化」です。
それは何かというと、これ以降、「何でもかんでもルート 3 で設計する」という風潮が広まった(ような気がする)ことです。注)

注)
念のために解説しておきますと、保有水平耐力の計算までを行うのが「ルート 3 」という設計法で、高さが 31 メートル超の建物にはこれが義務づけられています。そして、それ以下の高さのものについては、一定の条件を満たせば保有水平耐力の計算を省略することができるようになっている。これが「ルート 1 」あるいは「ルート 2 」と呼ばれる設計法ですが、ただし 31 メートル以下の建物でも「ルート 3 」を選択して構わないことになっています。

そういう風潮が生まれた背景として、以下のようなことが考えられるでしょう。

  1. もしルート 1 や 2 を選択して保有水平耐力の計算を省略した場合、そのうち誰か――誰かはよく分からない――が構造計算書を引張り出して耐震性能の検証を行い、「保有水平耐力比が 1.0 を下回っているので危険である = 偽装かもしれない」などといい出したら迷惑する。だから、最初から保有水平耐力の確認を行っておいた方がいいだろう。
  2. 保有水平耐力計算というのは「高度」あるいは「高級」な設計法なのだから、これでチェックしておけば安心である。
  3. 保有水平耐力計算というのは、その内実に立ち入ってみると、じつは「融通無碍」な部分がある。極端にいうと、これは設計者の解釈しだいでどうにでもなる「何でもアリ」の世界で、ルート 1 あるいは 2 にあるような設計上の「しばり」がなく、したがって「経済設計」が可能になる。

これを私は勝手に「保有水平耐力至上主義」と呼んでいるのですが、上に見るように、ここりは一石二鳥どころか一石三鳥くらいのメリットがある。
で、これに対して、「何かおかしくないか」と疑問を呈することにしたのがこのコラムになります。

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