二つの許容曲げ応力度 - 1 -

日本建築学会の「鋼構造設計規準」の 2005 年版で鉄骨の許容曲げ応力度の計算式が改定された。
ここではそれを「新規準式」、それより以前のものを「旧規準式」と呼ぶことにする。この規準が世に出てからすでに 10 年近くが経過しているのだから、これを今さら「新」と呼ぶのも変な気がするが、しかしそう呼ばなければならないくらい、この式、あるいは規準そのものの周知度は低い。「知らなかった」という設計者が意外なほど多いのだ。
新しい規準が出たとはいえ、告示に載っている式は旧規準のままなので、現在の行政上の取り扱いは「どちらでもよい」になっているはずである。「どちらでもよい」ということになれば、相応のメリットが得られない限り新しいものには手を出さないもので、そのあたりが周知度の上がらない原因になっているものと思われる。
しかしそうは言っても、「新しい式」の背景には必ず「新しい考え方」があるはずで、それを使う・使わないは別にして、建築構造設計に携わる人間であれば、少なくともそれを「知っておく」ことくらいは必要ではないだろうか?
そんなわけで、以下、この新旧の規準式について私が調べ得た範囲をレポートすることにした。

旧規準式とはいっても、2005 年以降に仕事を始めた方にとってはほとんど馴染みがないかもしれない。現在の規準の解説にも、あるいは告示の中にも書かれているが、表現が少しずつ違っているので、下に 2002 年版の学会規準にある式を掲げておこう。



ここでは、上の AB の値の大きい方をとればよい、とされている。では、「どちらか大きい方でよい」というのはどういう意味なのだろう?
その答えは新規準式の中にある。が、その話の前に、新旧の式の位置づけについて確認しておきたい。
ここでは「新規準式」という言い方をしているが、これの原型となっている「横座屈によって限界づけられる曲げ耐力」という式は昔からあって、新規準式ではそれを「弾性横座屈モーメント」と呼んでいる。下の式である ( 記号の説明は略す )。



これに安全率を考慮して新規準式の許容曲げ応力度が作られているのだが、ここでは、この値を C としておこう。
さきほどの 式A式B には 1.5 という安全率が組み込まれているので、これらと C の値を直接比較することはできない。しかし話の便宜上、ここでは安全率を取り除き、さらに何らかの断面係数を乗じて曲げモーメントに変換したものを A ( = 式A から求められる横座屈モーメント) および B ( = 式B から求められる横座屈モーメント) として定義し直すと、これらの間には以下の関係がある。


言わずと知れたピタゴラスの定理だが、この時、 A および B の値は必ず C よりも小さくなる。
そこで、実務設計のための規準という性格を勘案して、「本当の値は C なのだが、これを AB の値にしておいても安全側だから問題なかろう」と考えたのが旧規準式である。
ただし、「梁せいの 1/6 の断面のウェブ軸回りの断面二次半径」という不思議な値が登場していることからも分かるように、旧規準式は H 形鋼専用になっている。これは「 H 形鋼を対象に作られた簡便式」なのだった。
なぜそんなことをしたのか、というのは先ほどの 式C を見ていただければ分かると思う。電卓や計算尺を使ってこの値を求めるのは大変なのだ。しかし 2005 年にもなると、ご存知のとおり、そのような配慮はいらなくなったのである。

だとすれば、ここから得られる結論は「新規準式の値は旧規準式よりも必ず大きくなる」のはずである。しかし、実際にはそうならない。
繰り返すが、ここまでの話は「安全率を取り除いた値」についてのものである。
新旧の式では安全率のとり方が違っているため、それを考慮に入れると、むしろ旧規準式の値の方が大きくなる傾向があるのだ ( そのためにあえて旧規準式を使いたがる設計者もいて、そのことが新規準式の周知度が上がらない一つの要因にもなっている )。
しかしその話の前に、そもそもここにある A とか B とかいう値は何なのか、という話をしておきたい。

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