柔剛論争における木造建築

柔剛論争の中でたびたび取り上げられるのが「五重の塔はなぜ地震に強いのか?」という論議です。
実際、関東大震災の折にも浅草の五重の塔は無事でしたし、同様の例は過去にも多く見られます。
真島はこれを自説の格好の裏づけとし、五重の塔が地震に耐えたのは「固有周期が長いから」であるとしています。彼は「耐震構造問題に就て」(大正 15 年 10 月・建築雑誌)で、

初期状態における塔の固有周期は 1 秒程度のものであろう(そのような実測例もある)が、地震で大きく揺すられた結果、接合部の弛み等によって実際の固有周期が 2 秒くらいに伸びて難を免れた

と推測しています。
これに対する剛派の代表的な考え方は、前項で紹介した武藤清の「家屋の耐震設計方針に就て」にあります。これを「減衰」の効果として説明するのです。「斗組(ますぐみ)」と呼ばれる、梁が幾重にも重なった独特の工法を取り上げ、それらの摩擦によって減衰効果がもたらされたのだとしています。
しかし私たちが知るところによれば、減衰(内部減衰)の効果が増すごとに建物の固有周期は伸びていくわけですから、この主張は必ずしも「反論」とはいえないでしょう。

ここで、木造建築物一般に話題を移します。
前項でもちょっとふれましたが、柔剛論争の渦中、昭和 5 年 11 月に北伊豆地震(死者・行方不明者 272 人)が起きています。都市圏ではなかったこともあり、この地震による被害のほとんどは木造建築物に集中していたのですが、ここで「どのような建物が壊れ、どのような建物が無事だったのか」を見ていけば、もしかすると「柔か剛か」の大きなヒントになるかもしれません。

その前に木造建築物について簡単におさらいしておきますが、古い寺社建築に代表されるような、柱と梁の木組だけで構成される木造建築を「伝統工法」と呼びます。
日本で長年にわたって受け継がれてきた工法で、典型的な「柔構造」と言えるでしょう。またこのような建物の場合、骨組は基礎となる丸石の上にたんに載っかっているだけですから、(地震時にこれが「ずれる」ことにより)ある種の「免震構造」のような機構が働くものと考えることができるかもしれません。
当然ながら、柔派はこれを支持します。「法隆寺や薬師寺が千年以上も持ちこたえてきたことが何よりの証明になっている」というわけです。

これに対する「剛な木造建築物」とはどういうものかというと、「筋かい」を使って剛性を上げ、さらに「補強金物」や「ボルト」を使って接合部を固めたものです。基礎は鉄筋コンクリートで造り、柱はそこに緊結されます。
このような近代的な工法(現在では「在来工法」と呼ばれている)は、明治 24 年の濃尾地震を契機とし、国策として推進されてきました。注)

注)
この流れは、戦後の 1950 年に施行された「建築基準法」によって決定的なものになります。ここにおいて、伝統工法による木造建築物の建設は原則的に禁止されました。
ここで蛇足ながら、近年になって「伝統工法の見直し」という機運が高まってきたことを補足しておきます。「伝統工法は決して地震に弱いわけではない」という裏づけが得られてきたのです。

つまり、ここでも主流は「剛構造」だったのですが、真島はこれに、

筋かい等を使って建物の剛性を上げればその分だけ地震の加速度が大きくなり、そのイタチごっこの結果、最終的には墓石のような建物を造らざるを得なくなるであろう

と例によって反発します。対する剛派の主張の代表的なものは、前項の「家屋の耐震設計方針に就て」(武藤清)に見られる以下のような考え方です。

木造家屋の減衰は非常に大きく、心配するような共振を起こす可能性はない。
心配なのは、むしろ、柔構造の建物に生じる「大変形」であろう。もちろん、この変形に耐えうるような建物にすることは不可能ではないかもしれないが、そんなことをするよりも、最初から剛に造っておくことの方が簡単であり、かつ経済的でもある。

ここでも、剛派はいたってプラグマチックな「安心理論」を展開しています。

さて、昭和 5 年の北伊豆地震ですが、被害を受けた木造家屋の中には、いわゆる伝統工法によるものと、「文化住宅」と呼ばれるような近代的な工法を取り入れたものが混在していました。だから、その被災状況から「柔か剛か」に関する何らかのヒントが得られるかもしれない、とさきほど言ったわけですが、しかしその結果はどちらとも言えないようなものでした。

たとえば、筋かいのある建物が被災した例を柔派は自説の根拠にしますが、これに対する剛派は、それは筋かいの配置あるいはディテールに問題があったからであると主張します。また、木造 3 階建ての旅館が無事であった要因を、柔派は「固有周期が長い」ことにもとめますが、それに対して剛派は、「よく調べてみると、その建物は剛構造であった」と反論します。
さらにここには、建物の老朽化という要素もからんできて、その被害状況が「個々の建物」の問題なのか、あるいは「柔か剛か」という一般論に拡張できる問題なのか、ということになると非常に判断が難しかったのです。