どうすれば「柔構造」になるのか?
前項に述べたように、「震度 0.1」という規定は、何らかの体系的な理論にもとづいた論理的な帰結として得られたものではありません。これは、「地震動、あるいは地震時の建物の挙動には複雑精妙で計りがたい部分がある」ことをわきまえた上で、「制度としての耐震設計」という立場からプラグマチックに判断されたものなのです。
もう少し具体的かつ現代風に言い直すと、これは、実際に建設された建物の「冗長性」に期待したものである、ということができるかもしれません。
つまり、実際の建物には「あっちがダメでもこっちがあるさ」というような「逃げ道」がいっぱいあるということ。たとえ「計りがたいもの」であっても、その「逃げ道」がいっぱいあるほど安心である、そして建物を剛にしておいた方がたくさんの「逃げ道」ができる、という考え方です。
「震度 0.1 で設計しても実際には震度 0.3 まで大丈夫」というのも、その「安心理論」の一つになります(さらにここには、「建物の減衰機構」という考え方も登場してきますが、これについては次項で取り上げます)。
はっきり言ってしまうと、剛派の主張には理屈にならない部分が多くあるのです。だから、剛派の主張がアカデミズムを代弁している、という状況とは裏腹に、どうも、「理詰め」で考え出すと柔派の主張に理があるように思えてくる。
その一方、これに対する柔派の最大の難点は、では具体的にどうするのか?です。
一般に、建物の固有周期はその高さに比例して増加します。
鉄筋コンクリートや鉄骨造の建物の固有周期に関する最も簡単な目安は「階数の 1/10 」というもの(現在の法令にある「建物の高さに何がしかの値を掛けたものを固有周期とする」という考え方と基本的に変わらない)で、ここまで紹介したした論文でも大筋ではこの考え方にしたがって論を進めています。
ところで、この当時は「100 尺規定」というものがありました。100 尺( 31 メートル)を超える建物は造ることが出来なかったのです。
この規定を目いっぱいに使った建物(せいぜい 9 階建てぐらい)があったとしても、さきほどの論法にしたがえば、その固有周期はやっと 1 秒に届くかどうかというところです。もとより、そんな建物があちこちに建っていたはずはありませんから、その当時、(具体的なデータに基づいているわけではありませんが) 5 階を超えるような建物はかなりの「高層建築」だったはずです。
したがって、ふつうの建物をふつうに建てて、その固有周期を 1 秒以上にする、などというのは到底無理な話なわけです。しかし真島は、「工夫すればできる」と主張します。
たとえば、柱に対する梁の取り付けをわざとルーズにしておく、という方法を提案しています。
これに対しては、剛派から「風が吹いただけで揺れるような建物は困る」という反論が来ますが、すると、「通常は剛に近いが、大きく揺すられると接合部が緩んで固有周期が伸びる」というようなメカニズムを提案します。
また、外壁についても、大地震に破損することは覚悟の上である程度ルーズに取り付けておく、という方法を提案しますが、これに対しては剛派から「建物の外壁が生子板みたいなものになっては、都市の景観として如何なものか」という愉快な反論が返ってきます。
しかしいずれにしても、このあたりに関して真島の側が具体的なディテールを提案したわけではないので、今ひとつ説得力に欠けるきらいがあります。注)
注)
これに対し、たとえば前項で紹介した「耐震構造最近の趨勢」(内藤多仲・昭和 6 年 7 月・建築雑誌)の中では、「鉄骨構造物の接合部をいかにして剛にするか」という具体的なディテールの提案とその実験結果が報告されています。
剛派の人たちは、そのようなことを活発に行うことが出来る恵まれた環境にあったわけですから、柔派に対して同じことを求めるのはいささか不公平でしょうが・・・
また、鉄骨造ならまだしも、鉄筋コンクリート造をどうするのか、という最大の疑問が残ります(真島にしても、必ずしも鉄筋コンクリート造を全面否定しているわけではないのです)。
そういうわけで、柔派の主張には、最終的には免震構造に向かわざるをえないような事情があるのです。
じつは、免震のアイディアは意外に古くからあり、明治の半ばには「丸太を敷き並べた上に建屋を載せる」という提案が論文になっていたそうです。真島自身も大いに興味をもっていたらしく、昭和 9 年には自ら考案して免震構造の特許をとっています。
一方、先にふれた佐野の論文「耐震構造上の諸説」(大正 15 年 10 月・建築雑誌)にも免震構造(ただし「避震」という用語になっている)への言及がありますが、ここでは、「ほとんど空想の産物に過ぎない」と一蹴されています。注)
注)
さらにこの論文には、現在いうところの「制振構造」(原文では「消震」)についての言及も見られますが、「そんなにうまく行くはずがない・かえって危険であろう」とニベもありません。
|