「震度 0.1」の根拠

「震度 0.1」という、一見すると単純に過ぎるような規定が関東大震災後に法制化されることになった経緯を語り始めると、ここに内藤多仲(たちゅう)という人を登場させないわけにはいきません。佐野利器とともに日本の耐震工学のパイオニアと目される人(佐野より 5 歳ほど年下)で、「耐震壁」注)の創案者としても知られています。

注)
耐震壁とは、柱だけでなく、建物の内部の間仕切り壁によって建物を剛にする、という考え方によるものです。「耐震構造に関する一考察」(大正 14 年 9 月・建築雑誌)によると、彼はそのアイディアを、「海外旅行の折にトランクの中の仕切りを外して持ち歩いたら傷んでしまったが、次の機会に仕切りを取り付けたまま持ち歩いてみたらほとんど傷まなかった」という経験から得たとしています。
彼の「剛派」としての見解は「耐震構造最近の趨勢」(昭和 6 年 7 月・建築雑誌)などに見ることができますが、しかし、真島と表立った論争をしたことはなかったようです。

耐震壁を創案した、というくらいですから、もちろん佐野一党の剛派なのですが、彼が構造設計を担当した「日本興業銀行ビル」が大正 12 年に完成しました。
このビルには彼の発案になる耐震壁が内部に組み込まれているばかりでなく、鉄骨を鉄筋コンクリートで被覆した(今日「SRC造」と呼ばれる)独特な構造になっており、佐野の理論をそのまま実践にうつしたようなバリバリの剛構造でした。
で、この建物が、完成直後に起きた関東大地震に見事に耐えていた。まさにこの事実が、(先に話したような)佐野が担当した鉄骨ビルの無残な姿と相俟って、「鉄骨への不信 = 鉄筋コンクリートへの信頼」という剛派の主張を底固めしたのです。注)

注)
内藤多仲は、戦後になると、東京タワーを始めとする数々の塔(もちろん鉄骨製)の設計を手がけ、「塔博士」と呼ばれるくらいになったのですが、それでも「鉄骨への不信」という思いは簡単には拭えなかったようです。
藤森照信「柔構造か剛構造か、それが問題だ!」(前掲書所収)には、彼が工事途中の東京タワーの鉄骨に抱きついて何度も揺すり、「これなら大丈夫」と言ってやっと安心したというエピソードが紹介されています。

ところで言うまでもなく、この建物の耐震設計は佐野の提唱する「震度法」に基づいて行われていました。震度を 1/15 ( 0.067 ) に設定していたのです。この事実が「震度 0.1」の一つの根拠になったことは間違いなさそうです(少なくとも、それが通説になっています)。

さらに、関東大震災時の地震動の大きさを実際に推定してみると、(場所によって異なるが)震度に換算するとおおよそ 0.1 から 0.3 の範囲内になっていたであろう、ということが分かりました。
そうであるならば、ふつうはその上限をとって「震度 0.3」としそうなものですが、あえてその下限をとったについては、上記の理由の他に、別のカラクリがあります。

「震度 0.1 で設計しなさい」で想定している建物の強度計算とは、現在いうところの「許容応力度計算」、つまり「震度 0.1 の地震力によって部材の内部に生ずる力を許容応力度以内におさめる」ことを要求するものです。
で、その「許容応力度」ですが、これは鉄やコンクリートが本来持っている強度ではなく、それに何がしかの「安全率」を勘案した値が使われます。当時、その安全率は 3 と定められていました。
だから、震度 0.1 で設計しても実際には震度 0.3 まで耐えられることになるというのがそのカラクリです。
このカラクリを「分かりにくい」と思うかどうかは人によりますが、しかし現在に至るまで連綿と受け継がれてきている設計手法です。

それにしても、真島健三郎ならずとも、日本の最高の知性を結集して作られた規定にしてはずいぶん大雑把という気がしませんか?
しかし現在になって振り返ってみるならば、この規定はじつに卓見であったと認めざるを得ないのです。

この規定はその後、1950 年の建築基準法によって「震度 0.2」に変えられましたが、これが実質的には従来と同程度の耐震性能を要求するものであることは他で書きましたので繰り返しません。
さらにその後、1981 年の新耐震設計法によって「震度 0.2」が「標準層せん断力係数 0.2」に改められましたが、これはほとんど表現の違いに過ぎません。
また、上に述べた「実際には震度 0.3 まで耐えられる」という言い方は、(これも先に書いたことなので繰り返しませんが)現在の保有水平耐力計算における「構造特性係数の最小値を 0.3 とする」という形で生かされています。

つまり、今から 80 年以上前に「震度 0.1」で設計された建物は、(いくつかのディテールを別にすれば)現在の耐震規定がもとめる基本的な性能を満足しているはずなのです。
この時点で、日本の耐震建築のとるべきスタンスは定まりました。そして、その後に何度か大地震がやってきたにもかかわらず、これらの建物は全体として見れば結構うまく切り抜けてくることができた。その証拠に、私が知る限りでは、阪神大震災の惨状を前にして、「これからは層せん断力係数を 0.3 にすべきである」と主張した人は誰もいません。注)

注)
ちなみに、土木構造物については、阪神大震災を機に設計地震力が大幅に改定されている。