保有水平耐力について再び考える

正直なところ、私は「保有水平耐力計算」という耐震設計手法についてかなり懐疑的である。それはもしかすると、2005 年の耐震偽装事件の渦中で、国交省が「保有水平耐力比が 0.7 以下の建物は震度 5 強で倒壊のおそれがある」というような ( どうも腑に落ちない ) メッセージを発し始めたことが直接のきっかけだったかもしれない。
とは言え、それはあくまでも漠然とした感想に過ぎなかったのだが、つい先頃、「建築技術」7 月号の保有水平耐力関連の特集記事を拾い読みしているうち、その正体が少し分かったような気がした。
ようするに、この設計手法の妥当性を、私たちは 実感することができない のだ。

もちろんどんな荷重であれ、構造計算に使うのは「仮想」のものであり、それを実際に作用させてつぶさに観察することはできない。しかし、過剰な力が作用することによって骨組が壊れていく様子は、多少の想像力の持ち主ならば容易に思い描くことができるはずである。
それを、私はさきほど「実感」と呼んでみた。
しかしこれと同様にして、「地震のエネルギーが建物のエネルギー吸収能力、つまり一定のキャパシティーを超えたために ( あたかもコップの縁から水が溢れ出すように ) 骨組が壊れていく」様子を思い描くことができるかというと、こちらはなかなか難しいだろう。
それを思い描くことができないのならば、それを他人に説明するのはさらに難しい。
実際、あの耐震偽装事件のさなかで、前述の「保有水平耐力比」という耳慣れない言葉の意味を、皆が得心できるように説明できた専門家がいただろうか ?
自分が実感できないことを他人に説明し、さらに納得させるのは至難の業なのだ。

地震が来ると建物は「揺れる」、そしてその結果として「壊れる」――これは私たちの間で広く共有されている認識ではないだろうか。「だったら揺れないようにすればいい」という発想から生まれたのが「免震」という考え方である。これはとても分かりやすく、誰もが納得できる。免震構造物のもつ最大のアドバンテージはここにある。
では、これに対する「耐震」という考え方はどうなのかというと、一般的な認識としては「多少は揺れるがガンとして踏ん張って壊れない」ではないかと思う。

しかし厄介なことに、保有水平耐力という考え方は、それともまた違うのだ。
ここでは、建物は「揺れることによってエネルギーを吸収する」のだから、( 変形に追従できる限り ) 「いくら揺れてもよい」、あるいは見方によっては ( その分だけエネルギーの吸収量が増えるのだから ) 「揺れた方がよい」 ということにもなりかねない。
設計理念としては「大きな揺れ」と「人命の安全」のトレードオフである。
しかし多くの人は、「死ぬのは困るが、死ぬほど怖い思いをするのもやっぱり困る」と思っているはずだから、そのあたりもまた、この設計手法の「説明しにくさ」を生むことになる。

一方、さきほど述べた「実感の乏しさ」は、設計者の側に「数字の辻褄合わせ」をもたらす。
コンピュータの飛躍的な高性能化により、私たちは「保有水平耐力」についてはかなりの精度で求めることができるようになった。さらに、建物が崩壊に至るまでをシミュレートできるようになったので、そういう意味では、私たちはある種の「実感」を手に入れたといえる。
しかし、その分母となるべき「必要保有水平耐力」――ちなみに補足しておくと、先に登場した「保有水平耐力比」とは保有水平耐力を必要保有水平耐力で割ったもの――ということになると、こちらは 1981 年の新耐震設計法の施行以来、基本的に何も変わっていない。

設計者にとって一番分からないのは、必要保有水平耐力の要となる「構造特性係数」と呼ばれるものの値である。
これは建物の「エネルギー吸収能力 = 変形能力」をランク付けした 0.05 刻みの指数になるが、たとえばこの値の 0.3 と 0.4 の違いが「実体として」何をあらわすのか、ということになると、それをきちんと説明できる人は、おそらくどこにもいない。 注 )

注 )
私たちは「個々の部材の変形能力」を思い描くことはできる。しかしここで問題になっているのは「建物全体の変形能力」であり、それは必ずしも個々の部材の総和としてあらわされるわけではない。ようは、このあたりのカラクリがよく分かっていないのだが、その割には 0.05 という数字の刻みは細かすぎるような気もする。
むしろ、「コンクリート系の建物は 0.4・鉄骨系なら 0.3 」というようなザックリとした決め方の方がまだしも設計者は納得するのではないかと思うのだが、どんなものだろうか ?

しかし、とくにコンクリート系の構造物の場合、構造特性係数を 0.4 から 0.3 に変えるのはさほど難しいことではない。実際によく行われているのは「壁にスリットを入れて耐力を弱め、変形性能を上げる」という方法だが、しかしそのことが建物全体の耐震性能にプラスに働くのかマイナスに働くのか、という評価は、 少なくともこの計算法の内部では下しようがない。
さきほど書いた「数字の辻褄合わせ」とはそのような類のことである ( しかしよく考えてみると、この規定はもともと「こうすればああなる」「ああすればこうなる」と言っているだけなのだから、必ずしも設計者を責めるべき問題ではないのかもしれないが )。

冒頭の「建築技術」の記事に戻るが、これを読む限り、多くの研究者は、将来的には「時刻歴応答解析」による設計に移行することが望ましいと考えているようである。そのような観点からすると、現在行われている保有水平耐力計算という手法は、時刻歴応答解析による設計手法が確立されるまでの「中継ぎ」という位置づけになるのかもしれない。
ただし「中継ぎ」ということを言うのならば、今から十数年前に鳴り物入りで登場した「限界耐力計算」というものもある。
実際、これが「新しい耐震設計法」として名乗りをあげるまでは「時刻歴応答解析」が有力な対抗馬になっていたわけだから、かなり多くの人の間で、「保有水平耐力計算 → 限界耐力計算 → 時刻歴応答解析」 というロードマップが描かれていたことは間違いない。
しかしご存じの通り、その思惑は見事に外れ、近頃は「限界耐力計算」という言葉すらほとんど耳にしなくなった。
そんなこんなを考えると、この保有水平耐力計算という手法は、これからもしぶとく生き延びていくような気がする ( ことの良し悪しは別にして ) 。

( 文責 : 野家牧雄 )