建築構造の確認検査について考える ( 1 )

幸か不幸か、建築構造設計業務には「確認検査」というものがついて回る。構造設計者の仕事は確認申請を通すことである、と周囲から考えられているフシもあれば、( 立場によっては ) 構造設計者自身が自分の仕事をそのように認識していることもないわけではない。
一方、そんなに大事な「確認検査」であるにもかかわらず、これが何を目的として何を行うもので、その結果として申請者――あるいは「社会」でもいいが――に何をもたらすのか、ということになると、必ずしも明確に認識が共有されているとは言えないのではないか ( お断りしておくが、ここで取り上げているのは建築一般の確認検査ではなく、もっぱら建築構造にかかわるもののことである ) 。
しかしこれでは何とも居心地が悪いので、私自身は、建築構造の確認検査とは、

建築基準法を筆頭とするもろもろの設計慣習――ここには日本建築学会や日本建築センターから出されている各種の計算規準も含まれる――に則った構造計算が行われ、かつ、計算書に記載された数値の間に矛盾がないことを確認するものである

と勝手に解釈することにしている ( これについては別のところで書いた ) 。
これはそんなに的外れな定義ではないと思っているのだが、したがってその結果として、確認検査を通った建物に対して「一定の安全性」が保証され、さらに申請者に対しては「一定の安心感」をもたらされることになる。
これが確認申請という制度の効用になるのだが、それにしても、ここで保証される安全性が「限定的」なものであることを忘れてはならないだろう。言うまでもないことだが、「もろもろの設計慣習にしたがって作られた整合性のある構造計算書」が建物の安全性を完全に保証するのだとしたら、いずれ構造設計の専門家などいらなくなってしまう 。
つまり、構造設計者が目指しているのが「本当の安全性」であるとするならば、「限定的な安全性」とは、その一部をなす「部分集合」である。

この仕組み自体はそんなに分かりにくいものではないし、それなりにうまく機能していると思うのだが、ただし時として、その「限定的な安全性」とは何なのかが問題にされることがある。
一つにはその建物が「実際には安全でなかった」場合であり、そしてもう一つは、第三者が何らかの根拠にもとづいてその建物が「本当は安全でない」ことを証明し、その結果として建て替えや改修を余儀なくされた場合である。
それに対する確認検査側の責任が問われたならば、どうしても、上に述べた「限定的な安全性」の線引きが必要になってくる。そして最終的には、法廷の場でそれが争われることになるだろう。

前者――建物が実際には安全でなかった――の例として思い浮かぶのが、今年の初めに裁判が始まった町田市の駐車場のスロープ崩落事故だが、ここでは確認検査の側の責任は問われず、構造設計者だけが起訴された。これは、その判断が高度に技術的なものであるために確認検査側の責任を問うのは難しい、と検察側が判断したことによるものである。
さきほどの図式にこれを当てはめると、この事故は、確認検査が保証する「限定的な安全性」の枠を飛び出した「本当の安全性」の領域で起きたもので、これについては設計者が全面的に責任を負うべきである、と検察側が考えたことになる ( ただし、判決はまだ出ていない ) 。

後者――第三者によって建物の危険性が証明されたために建て替えや改修を余儀なくされた――の例としてあげられるのは「耐震偽装事件」をきっかけとした裁判である。2006 年から 2007 年にかけ、「偽装」と認定されて建て替えを行った建物の建築主が、確認検査を担当した行政庁を相手どって損害賠償請求を起こしたことがあった。
こちらは最高裁まで争われたが、最終的に行政庁に対する賠償請求は棄却された。
その判決理由を要約すると、「たしかに計算書の中に数値を偽装した部分があったが、しかしここに記載された膨大な量の数値の整合性を網羅的に審査することは困難であり、したがって明確な注意義務違反があったとは言いがたい」というものだった。
――ところでつい最近のことだが、これと似たような裁判で、確認検査側の賠償責任を認める判決が出された例がある。以下、これについて見ていくことにしよう。

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