割増率という値

ある構造設計者から聞いたエピソードを紹介する。「割増率」という値をめぐる話題である。
その人が低層の鉄骨構造物の構造設計を行ったのだが、ここには「冷間成形角形鋼管の応力割増し」という規定が適用されるため、柱の地震時応力を 1.2 倍にして断面設計しなければならない。
こういう場合、一般には通常通りの応力を算出し、断面計算用の値だけを割増すわけだが、このようにすると、応力図と断面計算表の値が一致せず、訳が分からなくなる。
そこで最初から地震力を 1.2 倍し、震度 0.24 ――正確には「1階の層せん断力係数」だが、めんどうなので「震度」で通す――で設計して応力割増しを行わないことにした。幸いなことに長期応力が優勢な低層建物なので、地震力を大きくしても部材断面を変更する必要はなかったのだ。
で、構造計算書の中にその旨のコメントを書いて確認申請に出したのだが、審査側からダメ出しされたのだという。

その理由は言うまでもなく、「設計指針にしたがった応力割増しが行われていない」という点にある。
この規定は「冷間成形角形鋼管設計施工マニュアル」という本にあるのだが、たしかに、ここには「地震時応力を割増せ」とあるだけで、設計地震力の大きさについてはふれていない。これは、「想定した設計地震力に見合った耐震性能を確保するためには角形鋼管の応力を割増しておく必要がある」という主旨なのだから、「設計地震力を大きくすれば割増さなくてよい」ということにはならないだろう。それは道理である。
しかし一方、「震度 0.2 で設計し、後から柱の応力だけを 1.2 倍して設計した」ものと「最初から一貫して震度 0.24 で設計した」ものを比べれば、一般には後者の方が耐震性能が高いと考えていいだろう。しかも、基準法に定める「震度 0.2 に対して安全に設計する」という主旨は十分に満たされている。

そんなわけで、この構造計算書を「認める」とする側にも「認めない」とする側にも相応の理があることになる。
まあ、現実的な結論としては、こういう場合は「ふつうにやっておいた方が無難でしょう」ということになるのだろうが、それにしても、建築構造計算の世界には「割増率」という値が頻繁に登場する。「割増しだらけ」と言ってもいいかもしれない。思いつくままに挙げててみよう。

RC部材の設計せん断力の割増し、耐震壁が多い建物の柱の部材応力の割増し、4本柱の建物の震度の割増し、RC柱の降伏曲げを求める際の軸力の割増し、RC部材の降伏曲げを求める際の鉄筋強度の割増し、ブレースが多い建物の部材応力の割増し、冷間成形角形鋼管の応力割増し、露出柱脚の応力割増し .....

このように並べてみると分かるのだが、これらはすべて「耐震設計」にかかわるものばかりである。
そもそも、割増率という値は、対象とするものが「よく分からない」場合に使われる。やって来る敵の正体がはっきりしているのであれば、相応の武器を相応の数だけ用意して身構えておけばよい。しかし正体の分からない敵がやって来る場合は、「もしかすると過剰かもしれない」と思いつつも多種多様な武器を準備しておくことになる。
ようするに、割増率の大きさというのは「よく分からない度」の大きさなのだ。この値が大きければ大きいほど、「それについてはよく分かりません」と言っていることになる。

もともと地震というのは「よく分からないもの」なのだから、そのことに文句を言ってみても始まらないが、それにしても、この割増率という値だけが独り歩きし始め、「とにかく割り増しておけば安全」というようなことになると、いろいろ妙なことも起きる。
その一つの例が、部材に対して複数の割増率が二重三重に適用されるようなケースである。
このような場合、それらの割増率を全部掛け合わせて設計するのが通例 ( なぜならば、それが一番「安全側の考え方」だから ) になっているが、その結果、工学的に見て明らかな過剰設計と思えるような構造計算が行われることがある。これだけ多種多様な割増率が提唱されているのだったら、それらの間の「交通整理」も必要だろう。

――どうも、この「割増率」という言い方そのものにも問題があるような気がするのだが、どんなものだろうか ?
さきほども述べたように、この値は「よく分からない度」をあらわすものである。しかしそれが「割増率」という名前で行政的な強制力をもつようになると、いつの間にか「動かしがたい確定値」に変じてしまう。それが設計者の側に、ともすると「割り増しておけば安全」、引いては「確認申請が下りたのだから安全」という思考停止をもたらしてしまうのではないか。
そこで提案なのだが、これを「安全率」とか「安全係数」というような言い方に変えてみたらどうだろうか ?
そうすれば、現在の「割増率」という言い方にある強制力は多少なりとも薄められ、もう少し柔軟で見通しのよい設計ができるようになる気がするのだが ( もちろん、これは「言ってみただけ」で、こんな提案が受け入れられることはないと思いますが ) 。

( 文責 : 野家牧雄 )