学会規準について考える

構造設計者にとって「学会規準」とは何なのだろう

日本建築学会のRC規準 ( 鉄筋コンクリート構造計算規準・同解説 ) の 2010 年版が刊行されてから 3 年ほどが経過したが、この新規準に関する構造設計者の間の認知度はかなり低い。学会規準の改定を「一大事」と考えるベテランの設計者には、この状況はかなり異様に映るのではないだろうか。
振り返ってみると、このような傾向――学会規準に対する関心とその影響度の低下――は 2005 年版のS規準 ( 鋼構造設計規準 )、あるいはさらにさかのぼって 1999 年版のRC規準あたりから始まっているような気がする。
さきほど、学会規準の改定を「一大事」と書いたが、これはどうやら、「少なくとも 10 数年前までは一大事だった」と訂正した方がよさそうである。それにしても、この 10 年ほどの間に何が変わったのか?

ただちに思い浮かぶのは、国交省から出されている、いわゆる「黄色本」の存在だろう。
この本が「設計する側」「それを審査する側」の双方が共有する「構造計算マニュアル」として定着しだしたのはここ 10 数年のことで、 2007 年の基準法改定と同時に刊行された「2007年版 技術基準解説書」がその「ダメ押し」となったことは私たちの記憶に新しい。
これにより、学会規準に関する周知がなくても、実際の構造設計業務――正確には「確認申請に関わる業務」――にはほとんど支障が出ないような状況が作り上げられた。
このようなシステムは、設計者と審査員、その双方に大きな利便をもたらした。どちらにとっても、「参照すべきもの」は少なければ少ないほどいいはずである。その分だけ無用な混乱が減り、仕事が楽になるのだから。

とはいえ、今のところ、黄色本の中に構造計算に関わるすべてのルールが書かれているわけではない ( 近い将来にはそうなるとしても ) 。そこで、そのあたりにようやく「学会規準」の出番が回ってくることになる。おそらく、現在の設計者ならびに審査員にとっての学会規準の位置づけとはそのようなものなのだろう。

ところで、いうまでもないことかもしれないが、学会規準は法令の補完を目的とするものではない。これは「最新の知見をもとに、より理にかなった設計法を提案するもの」である ( と私は思う ) 。だから、規準が改定されると、そこには何がしかの「今までとは違うこと」が書かれていることになる。

しかし、黄色本を中心に置いて設計者と審査員が作り上げてきた現在のシステム――閉じたシステム――は基本的に「今までと違う考え方」「今までと違うやり方」を歓迎しない。それは新たな混乱を生みだすおそれがあるのだ。
一方、これまで学会規準がはたしてきた役割を考えれば、これを「完全無視」するわけにもいかない。
そこでどうするのかというと、「とりあえず無視」という立場をとることにする。そうすることが設計者と審査員双方の利にかなうからなのだが、ここにはさらに、「設計者が時々立場を替えて審査の側に回る」という現在の奇妙なシステムが関わっていることも見逃してはいけないだろう。
つまり、このようにして「判断保留」になっているのが現状ではないのか。そしてこの状態が解消されるのは、もちろん、「国が新しい黄色本を出した時」なのである。

じつは「学会規準」も少しずつ変わってきた

前項に書いたのは「学会規準を取り巻く状況が変わった」という話だった。しかしそればかりではなく、じつは学会規準そのものも少しずつ変わってきた。ちょうどその「曲がり角」に位置しているのが1987年に改定版が出たSRC規準 ( 鉄骨鉄筋コンクリート計算規準・同解説 ) ではないだろうか。
その当時に構造設計の仕事をしていた方ならおぼえているかもしれないが、実務設計者の間でのこの規準の評判はすこぶる悪かった。以下、そのあたりのことを振り返ってみたい。

この改定版の主要な変更点はRCとSの耐力の合成に「一般化累加」が採用されたこと、ならびに耐震壁の計算式が大幅に改定されたことだった。
まず一般化累加の方だが、そもそもこの作業を電卓で行うことはできない。もっぱらプログラムに頼るしかなく、しかもそのプログラムにはかなり手の込んだアルゴリズムが要求される。そのため、巻末にプログラムのソースコードが掲載されていた――現行版では削除されている――のだが、それを目にして私たちは「時代が変わると、こういうのもアリなのか」という感慨を抱いたものだった。
これは、学会規準が「プログラムの使用」を前提にし始めたことをあらわしている。
その結果どういうことになったかというと、計算式のパラメータが増え、式そのものも冗長かつ複雑になった。式を作る側にしてみると、プログラムの使用を前提にすることにより、「電卓でも計算できるように」というバイアスから逃れることができたのだ ( よくも悪くも ) 。
それを端的にあらわしているのがこの規準のもう一つの目玉、すなわち耐震壁の設計に関わる新しい計算式である。

繰り返しになるが、その当時、実務設計者の間でのこの計算式の評判はかんばしくなかった。いや、何も「その当時」に限らないかもしれない。たとえば現役の構造設計者で、「内部耐震壁と外部耐震壁の機構の違い、あるいはそれに伴う耐力の違い」についてすぐに説明できる人がどれだけいるだろうか?
ようするに、この規準で登場した耐震壁に関する新しい考え方は、いまに至るまで、設計者の間に浸透しなかったのだ。
その最大の理由は、複雑すぎる式の成り立ちが設計者の「直感的な理解」を妨げていることにあるのではないかと思う。もう少し具体的にいうと、計算式を見た時、設計者は「このパラメータをこのように動かせば結果がこのように動くであろう」という「あたり」をつけるものである。しかしパラメータの数が増え、さらに個々のパラメータの成り立ちが複雑になるにつれて、そのような直感を発揮することは難しくなる。

上のような事情は、2010年版のRC規準にある耐震壁の新しい計算式についてもそのまま当てはまる。たぶん、これも同様の運命をたどることになるだろう ( さらにここには、「RCとSRCでどうしてこんなに計算式が違うのか」という新たな疑問も付け加わるので話はさらにややこしい ) 。
設計上の選択肢が複数ある場合、特別な理由がない限り、設計者は「より分かりやすく、自分で結果を制御することができるもの」の方を選ぶはずである。端的にいうと、それが、新しい規準が設計者の間に浸透しない最大の理由だろう。
つまり多くの設計者は「今までどおりではなぜいけないのか」と考えているわけで、実際のところ、「今までどおり」でいけない特別な理由はほとんどないのだった。しかも前項で書いたように、少なくとも確認申請の現場においては「今までどおり」の方が歓迎されるのだから、相応の説得力がない限り、この状況を覆すのは難しいことになる。
一方、ここには別の見方もあるかもしれない。

もしかすると、私たちが現在行っている許容応力度計算という手法は、もはや何かを変えたり、そこに何かを付け加えたりする必要がないほどに完成されたものなのかもしれない。
なにしろ、私たちはこの手法をほぼ一世紀近くにわたって使い続け、身につけてきたのだ。それが体に染み付いているために、設計者は「今までと違うこと」に対して過剰なまでの警戒心を抱く。「それ ( 新しいやり方 ) の方が本当なのだとしたら、自分たちがこれまでやってきたことは一体何だったのか」というわけである。
もちろん、規準を作る側もそのことに気づいていないはずはない。2010年版のRC規準が「許容応力度計算」という看板を掲げながらも、内容的には「限界状態設計」の方には軸足を向けていることからもそれは窺える。
――はたして、この次に出されるRC規準やS規準はどういう形のものになるのだろうか ( もちろん、「そういうものが出されることがあれば」という話だが ) 。

( 文責 : 野家牧雄 )