地域係数の謎 ( 再掲 )

設計地震力の計算に使われる「地域係数」という値がある。これは「地震が普通に発生しやすい地域」に 1.0 という指数を与え、以下、それに比べて「相対的に地震が発生しにくいと思われる地域」を 0.9・0.8、あるいは 0.7 という指数で表わして区分し、それらの地域ではその指数に応じて設計地震力を低減してもよい、としたもので、その具体的な数値は国交省の告示によって決められている。

ところで、先般 ( 2016 年 4 月 ) 大地震に見舞われた熊本県だが、ここは県内全域にわたって地域係数が 0.9 ないし 0.8 と決められている。
なかでも、市庁舎が崩壊した宇土市の地域係数は 0.8 である。この値は「守るべき最低値」なので、実際にこの建物が地域係数 0.8 で設計されたのかどうかは明らかではないし、たとえそうだったとしても、それが今回の被災の原因だったと断定はできないだろう。
逆に、( 詳しいことは今後の調査をまたなければならないが ) 1981 年の新耐震設計法施行後に地震力を低減して建設された建物の多くが今回の大地震で無被害であったとするならば、そもそも現在の設計用地震力は過剰なもので、「本来はこの 9 掛けくらいが妥当なのではないか」という考え方だって成立するだろう。
このように、地域係数というのは実に「厄介」かつ「人騒がせ」な値なのだ。

そもそも、この地域係数という値は本当に必要なものなのだろうか ?
――2011 年の東日本大震災の後、私はそのような疑問を抱き始めた。そしてその折りに、この値の成り立ちについて自分なりに調べた内容を「地域係数の謎」という記事にして当コーナーに掲載したのだが、今回の熊本県の震災を機に、これを以下に再掲することにした。

先ほども述べたように、この値は「ここまで低減してもよい」という性格のもので、「低減しなさい」と言っているわけではない。また、「既存不適格建築物」という問題が立ち塞っているので、よほどのことがない限り、この値が改定されたり撤廃されたりすることはないだろう。
そんなわけで、設計者は今後、「本当に地震力を低減してもいいのだろうか」という疑問にたびたび悩まされることになるだろうが、その時に、以下の記事を何かの参考にしていただければ、と考えている。


地域係数の生い立ち

建築基準法が制定されたのは 1950 年だが、この時はまだ地域係数というものはなく、全国一律の設計地震力が使われていた。
地域係数が最初に登場するのはその 2 年後の 1952 年の建設省 ( 現・国交省 ) 告示においてだが、この間の事情については、「新・建築問題快答集 第4巻」(建築技術刊)の P.10 に掲載されている地域係数に関する質問 ( 質問内容については後述 ) に対する大橋雄二氏の回答に簡潔に要約されているので、以下にそのまま引用させていただく ( なお、この小文の内容の多くは同書の記述から得た知識によるものであることをお断りしておく )。

わが国ではじめて地震地域係数が定められたのは、昭和 27 年 ( 1952 ) です ( 昭和 27 年建設省告示第 1074 号 )。これは、当時の東大地震研究所の河角広博士の研究に基づいたものです。
河角博士は、古文書などに記載された地震の記述をはじめとする有史以来の地震資料を収集し、それに基づいて、歴史的な地震のマグニチュードと震源位置を推定しました。それらの資料に加えて、マグニチュードと震源距離と震度の関係の経験式から、わが国の各地域について、これまで歴史的にどの程度の地震動をどのくらいの回数経験しているかを求めたのです。その結果から、今後も過去と同様の地震活動が生じると仮定して、各地域ごとに、今後 100 年間に 1 度程度発生が予想される地震 ( 再現期間 100 年の地震 ) などの最大加速度を計算したのでした。
これは、河角マップと呼ばれました。この河角マップを基本として、東京付近を 1.0 とし、低減は 0.9 と 0.8 として、わが国の各地域の設計用地震力の補正係数を定めたのが最初の地震地域係数でした。

上にある河角(かわすみ)マップとは、西暦 679 年から 1948 年までの地震記録に基づいて作成されたハザードマップで、100 年以内に起きるであろう地震の最大加速度の分布を 50ガル・100ガル・150ガル・・・ というような 50 ガル刻みの等高線で表わした下図のようなものである。

この図から一見して分かるのは、東京や京都・大阪近辺に大きな加速度がプロットされていることだが、これはかつての文化の中心地であったため、多くの記録が残されていることによるものだろう。注)

注)
2011 年の東日本大震災に関連し、4 月 14 日付けの「MSN 産経ニュース」に、「都から遠く離れた東北地方では平安時代半ばから江戸初期までの数百年間、記録がまったくない。今回のような巨大地震は江戸以降もなく、起きないという考えに自然と傾きがちだった」という、島崎邦彦東大名誉教授のコメントが掲載されている。

そして、これに沿って作成された 1952 年の告示では、北海道を除き、各都道府県ごとに 1.0・0.9・0.8 のいずれかの地域係数が割り当てられている。ごく大雑把にいえば、茨城・栃木・群馬・新潟・石川・富山の各県を含み、それよりも北にある東北地方と北海道南部、及び近畿と四国が 0.9、九州と北海道の北部が 0.8、それ以外の関東・中部地区が 1.0 になっている。注)

注)
この時の地域係数の区分けについては、石山祐二「耐震規定と構造動力学」( 2008 年・三和書籍 ) の P.36 で見ることができる。

地震のハザードマップと都道府県の行政区分が完全に一致するはずはないのだから、ここには相応の「行政的判断」が介在しているはずだが、しかしそれにしても、いかにも不自然な部分があることも否定できない。
そこで 1979 年にこれをもう少し精密にしたものが作られることになった ( 昭和 53 年建設省告示第 1321 号 ) が、これが現在私たちが目にしている地域係数である 。その後、1981 年の新耐震設計法の施行に伴い、昭和 55 年建設省告示第 1793 号 が引き続き公表されたが、地域係数については変更されていない 。

これを 1952 年の告示にあるものと比較すると、たとえば東北地方は一律に 0.9 だったものが、太平洋の沿岸部については 1.0 に変更されている。その他、北海道は太平洋に面した南部が 1.0・中部が 0.9・北部が 0.8 となり、一律に 0.8 だった九州地区は、宮崎県と熊本・大分の一部が 0.9 にされた。
下図の左側に、この時に主として参照された最大加速度の 100 年期待値のマップ、右側には新しい告示で定められた地域係数 ( 現行のもの ) の区分けを示しておく。


上の二つを見比べて「何となく似ている」ことは私にでも分かるが、このあたりの比較照合については、日本建築学会「地震荷重-その現状と将来の展望」( 1987 ) の P.88 にある記述を下にそのまま引用しておこう。

両者は大局的に見るとかより良い相似がみられる。
例えば、地域係数 Z = 1.0 の地域はほぼ 200 cm/s2 以上の区域に対応し、Z = 0.9 の区域はほぼ 100 〜 200 cm/s2 の区域に対応している。ただし、同じ Z = 1.0 の区域でも 200 cm/s2 と 400 cm/s2 という 2 倍の差があり、本州中部から近畿地方は東北・北海道の太平洋岸に比べていくぶん大きめに設定されているようである。
相対的な大きさをみると解析による最も大きい値は 400 cm/s2 以上で小さい値は 100 cm/s2 以下であるので約 1 : 0.25 になっているが、建築基準法の場合は 1 : 0.8 であり、Z の値は差が大きくならないように設定されていることがわかる。
建築基準法の設定にあたってはたとえ計算による値が小さい区域でも大地震の発生により壊滅的な被害が生じないような配慮がなされているためであろう。

上の文章に見る通り、地域係数とは地震の発生確率をダイレクトに反映させたものではなく、そこに様々な「行政的配慮」が施されたものなのである ( あらためて言うまでもないことかもしれないが )。


地域係数 0.7 の謎

ここまで、地域係数が 1.0・0.9・0.8 の三種類に区分された経緯を振り返ってきたが、しかしここには「特例」がある。「沖縄県だけは 0.7 でよい」という規定である。
前項で「新・建築問題快答集 第4巻」にある回答の文章を引用したが、この回答は以下のような質問を受けてなされたものである。

地域係数 ( Z ) に関して、Z = 0.8 の中に「鹿児島県 ( 名瀬市および大島郡を除く ) 」とありますが、名瀬市および大島郡は Z = 1.0 となるのでしょうか。
仮にそうならば、鹿児島県と沖縄県の県境で Z に 0.3 も差があることになりますが、どのような考え方から数値が規定されたのでしょうか。

ここにある通り、鹿児島県本土が 0.8、その南にある奄美大島と奄美群島が 1.0、さらにその南にある沖縄県が 0.7 というふうに地域係数が分布しているのだが、たしかに、( 海を挟んでいるとはいえ ) この数値の不連続は不自然な感じがする。

結論から先に言ってしまうと、ここにある 0.8 と 1.0 という数値は前項で述べたような地震発生の確率分布をもとにしたものだが、沖縄県の 0.7 という数値は全く別の経緯で決められたものなのである。
沖縄が他府県に比べて特別に地震が少ないというデータはない。
たとえば、防災科学技術研究所で公開している ハザードマップ ( 今後 30 年間に震度 6 弱以上の揺れに見舞われる確率の分布図 ) をのぞいてみると、沖縄県の地震発生確率はほぼ「本土なみ」であることが分かる。
実際、2010 年には沖縄本島近海地震 ( M7.2 ) が起き、震度 5 弱が観測されている。沖縄本島で震度 5 以上が観測されたのは約 100 年ぶりのことらしいが、100 年近くの間震度 5 以上を経験していない地域ということなら他にもある。注) さらに、それ以前については残されている記録が少なくてよく分からない、という事情もあるはずである。
にもかかわらず沖縄県の地域係数が 0.7 になっているのには歴史的な経緯がある。

注)
阪神淡路大震災に見舞われるまで、神戸市で震度 5 以上の地震は約 80 年間発生していなかった 。

1950 年施行の建築基準法において設計地震力を決める震度の値が従来の ( 市街地建築物法に定める ) 0.1 から 0.2 に変更されたのは周知の通りである。そしてこの時、許容応力度の方も 2 倍に上げることによって従来の建物がもつ「耐震性能(地震力に対する安全率)」を保持して連続性を確保したことも ( 少なくとも建築構造の専門家にとっては ) ほぼ周知の事実だろうと思う。
しかし言うまでもなく、1950 年の建築基準法が沖縄に対して適用されることはなかった。沖縄が日本に返還されたのは 1972 年のことである。
ではその間、沖縄ではどのような構造計算が行われていたのだろうか?

じつは、上に述べた「許容応力度を 2 倍にする」の方は採用したが、「設計地震力を 2 倍にする」の方は採用しなかった。従来通りの「震度 0.1 」で設計されていたらしいのである。これは、建築基準法が求めている耐震性能の半分しか満たしていないことになる。
そうなった明確な理由については調べてみても分からないので、「とにかく何となくそういうことになっていた」と考えておくしかないのだが、その背景に、「沖縄はもともと地震が少ないから」という暗黙の共通了解があったことは十分に考えられる。
ともあれ、戦後の沖縄は大きな地震に見舞われることもなかったので、それはそれでよかったわけだが、国としては、返還後の沖縄県の取り扱いに困ってしまった。本土の半分の地震力でこれまで設計されてきたものをいきなり 2 倍に引き上げたら、ほとんどの建物が「既存不適格」になってしまう。
そこで仕方がないので、「とりあえず従来通りの設計で構わない」ということにしたのだが、これが昭和 47 年建設省告示第 938 号である。

前項で紹介したように、その後の 1979 年に地域係数の見直しが行われているが、この時に再び沖縄県の取り扱いが問題になる。それまで行われてきた「震度 0.1 」の設計と辻褄を合わせるのなら地域係数を 0.5 にするという手もないではないが、いくら何でも 0.5 という地域係数は不自然だろう。
少なくとも本土の最低値の 0.8 くらいにはしておくのが望ましいが、しかしそれでも従来の 1.5 倍超の地震力を考えることになり、かなりの数の「既存不適格」が生まれてしまう。そこで苦慮した揚句、最終的には 0.7 という数字で手を打つことにした――どうやら、これがことの真相らしいのである。

ここまで見てきたことから、地域係数 0.7 という数値を根拠に「沖縄県は地震が少なくて安全な所である」と考えるのは事実に反していることが分かる。
しかし一方、では沖縄の建物は一般に耐震性能に問題があるのかというと、そのように決めつけることはできないだろう。もし問題があるとするならば、それは沖縄県に固有のものではなく、「地域係数」というもの全体の枠組みにあるはずである。
はたしてこの値は、建物の設計に何らかの合理性、引いてはこの国の経済に何らかの効率をもたらしていると言えるのだろうか?

(文責 : 野家牧雄)