黄色本とは何なのか?
いきなり「黄色本」と言われても何のことか分からない方がいらっしゃるもしれませんが、ようするに、現在出回っている「 2007年版 建築物の構造関係技術基準解説書」の俗称です。
なぜそんな呼び方がされるのかというと、一つにはもちろん、あまりにも書名が長すぎてまどろっこしいからです。もう一つの理由は、この種の本の題名がこれまで幾度となく変更されたために何と呼んでいいか分からなくなっているからですが、一つの共通点として、表紙の色が黄色あるいはオレンジを基調としている――ただし初代の「構造計算指針・同解説」だけは茶色だった――ので、その特徴を捉えて「黄色本」と呼ばれているわけです。
ところで、ここで是非知っておいていただきたいのは、「黄色本は決して昔からあったわけではない」ということです。
黄色本の嚆矢は「構造計算指針・同解説」で、これは 1981 年に施行された「新耐震設計法」の啓蒙・普及を目的として同年に刊行されたものです。まず最初に、これを含めた黄色本の歴史を以下の表で簡単に振り返っておきましょう。
刊行年 |
書名 |
編者・監修者 |
体裁 |
1981 |
構造計算指針・同解説 1981年版 |
日本建築センター編
建設省住宅局建築指導課・建設省建築研究所監修
|
B5版・275頁 |
1986 |
構造計算指針・同解説 1986年版 |
日本建築センター編
建設省住宅局建築指導課監修
|
B5版・331頁 |
1988 |
構造計算指針・同解説 1988年版 |
同上 |
B5版・364頁 |
1991 |
構造計算指針・同解説 1991年版 |
同上 |
B5版・367頁 |
1994 |
建築物の構造規定 1994年版 |
日本建築センター編
建設省住宅局建築指導課・日本建築主事会監修
|
A4版・370頁 |
1997 |
建築物の構造規定 1997年版 |
同上 |
A4版・442頁 |
2001 |
2001年版 建築物の構造関係技術基準解説書 |
国土交通省住宅局建築指導課・日本建築主事会議・日本建築センター編
|
A4版・586頁 |
2007 |
2007年版 建築物の構造関係技術基準解説書 |
国土交通省住宅局建築指導課・国土交通省国土技術政策総合研究所・建築研究所・日本建築行政会議監修
|
A4版・720頁 |
この表から分かるのは、書名が「構造計算指針・同解説」→「建築物の構造規定」→「建築物の構造関係技術基準解説書」と変遷していること、さらにもう一つは、かなり頻繁に改訂が行われ、そして改訂されるたびにどんどん本のボリュームが増えていることです。
以下、書名の変遷とともにその内容がどのように変わったのかを追っていくことにしますが、この話は「黄色本がなかった頃」から始まります。
黄色本がなかった頃
現在の建築技術者(あるいは確認申請の審査員)の方々の中には、「黄色本がなかったらどのように設計(あるいは審査)したらいいか分からないではないか」と思う方がいらっしゃるかもしれませが、しかし、実際には誰も困っていませんでした。
もちろん、「建築基準法施行令さえ読めば何でも設計できる」と思っていたわけではありません。そこにない部分は日本建築学会から出された種々の規準類が補っていたのです。
新耐震設計法の施行前から仕事をされている(つまり相当なベテランの)方ならば分かるはずですが、この時期の構造技術者にとって、日本建築学会の規準はある種の「バイブル」のようなものでした。ほぼ例外なく、これらの本を手元に置きながら日々の仕事に励んでいたはずです。
たとえば 1971 年の RC 規準の改訂では、その前に起きた新潟地震や十勝沖地震の被災状況を受けて部材のせん断設計法が大幅に改められました。これらは法令にまったく定めのない、あるいは法令の定めとは異なる内容になっていましたが、誰もがすんなりとこれを受け入れました。
この時期の「法令」と「学会規準」は、(明文化こそされていないものの)うまい具合に「棲み分け」ていたのです。
しかし両者の関係は、1981 年の「新耐震設計法」の施行あたりをを契機として徐々に変わってきます。「棲み分け」のあり方が変わってきたのです。
このような傾向は 1999 年の計量法の改正、あるいは翌 2000 年の建築基準法の改正あたりからさらに加速します。そしてついには、 学会規準は法律違反ではないか という声まで上がるようになったのです。注)
注)
たとえば 1999 年の RC 規準では鉄筋 SD295 の許容応力度が 200 (N/mm2) と定められましたが、その後に出された国交省の告示でこれが 195 とされたこと、あるいは、2005 年版の S 規準で「より精度が高い式」として採用された許容曲げ応力度の算定式が告示にあるものと違っていることなどを指します。
この「ねじれた関係」は、じつは、本コラムのテーマである「黄色本」の刊行と大いに関係しています。
つまり、上の表に見るような「黄色本の頁数の肥大化」は「学会規準のステータスの低下」という現象と背中合わせになっている(ように見える)のですが、以後、そのあたりも含めながら黄色本の変遷を見ていくことにします。
――なお、今ここで、「ように見える」という括弧書きをわざわざ入れましたが、言うまでもなく、私自身は学会規準や黄色本の編集に関わっているわけではありませんから、両者の間にどのような確執や経緯があったのか(無かったのか)については知る由もありません。
ですから、ここにあるのは、「外野席から眺めている一観客の目にはそのように見える(そのように見ざるを得ない)」という私自身の感想を述べたものに過ぎません。(余計なことだとは思いますが)あらかじめその点をお断りしておきます。
構造計算指針・同解説
この本の 1981年版 が、同年に施行された「新耐震設計法」の啓蒙・普及を目的に刊行されたものであることはすでに言いました。さすがに、耐震設計法の大幅な改定内容について、「施行令と告示の本文をきちんと読めば分かるはず」で済ますわけにはいかないと考えたのでしょう。
ちなみに、私たちは現在、「計算ルート」「一次設計・二次設計」のような用語をごく当たり前に使っていますが、これらの用語は法令・告示の類にあるものではなく、この本の中で初めて使用されたものです。
そういう意味では、法令と関連告示(通達)及びその解説本を 1 セットにしたものが「新耐震設計法」の全容である、と考えておくべきなのかもしれません。
実際の内容もその通りで、まず冒頭の「第 1 章 構造計算の方法」に新しい耐震設計法の解説があり、その他のことはそれに続く「おまけ」のような形で載っています。下にその目次だけを掲げておきました。
第 1 章 構造計算の方法
第 2 章 荷重及び外力
第 3 章 許容応力度及び材料強度
付1 構造種別に応じた構造計算のフロー集
付2 建築基準法施行令第 3 章第 8 節
付3 建設省告示
次の 1986年版 ですが、これは別に内容が変わったわけではありません。以下に、冒頭にある「刊行にあたって」の内容を要約して紹介しておきます。
1981年版は法令条文の順序に沿う形で解説されていたため、多くの設計実務者から「使いにくい」という指摘があった。これは、その点を踏まえながら、構造計算の順序に沿うように編集し直したものである。
その結果、章立てが「第T編 政令・告示・通達」「第U編 構造計算指針・同解説」と変えられ、第U編の内容が構造種別ごとに「鉄骨造の耐震計算」「鉄筋コンクリート造の耐震計算」などと項目分けされました。
1988年版 は、その前年の法改正に伴って木造の耐震計算の項を新設したもので、その他はまったく変わっていません。
さて、話題を戻しますが、建築技術者の間で「ルート 2-1」「ルート 2-2」のような用語が定着し、それがすんなりと通用するようになったのは、じつにこの「構造計算指針・同解説」のおかげなのです。もしこの本がなければ、私たちは「ルート 2-1」と言う代わりに、(頭をかきむしりながら)「施行令×条×項に基づく・・・」などと念仏を唱えなければなりません。
法令とその解説本をセットにして国が制度の周知徹底を図るというやり方は、それまでの慣習からすればかなり異例のことだったはずですが、いま言ったような「あれやこれや」を考えてみると、その目論見は「見事に達成された」と言っていいのではないでしょうか?
おそらく、建築学会に側にもこの点に対する何らかの配慮があったものと思われます。翌 1982 年に RC 規準の改訂版が刊行されましたが、ここでは新耐震設計法について直接言及することを避け、巻末の計算例の手直しだけに留めています。
つまりこの時点では、法令と学会規準の「温厚な棲み分け」状態はまだ続いていたのです。しかしこの関係は、次の黄色本である「建築物の構造規定」あたりから少しずつおかしくなってきます。
建築物の構造規定
この本の最初は 1994年版 ですが、その内容は、副題とされている「建築基準法施行令第 3 章の解説と運用」から明らかでしょう(ちなみに、建築基準法施行令第 3 章は「構造強度」、つまり構造計算全般について説いたもの)。
これまでの「構造計算指針・同解説」がもっぱら新しい耐震設計法の解説に紙数を費やしていたのに対し、この本では、その範囲を「構造計算全般」にまで広げることにしたのです。そのあたりの事情を、「まえがき」の要約で以下に紹介しておきます。
「構造計算指針・同解説」は新耐震設計法の普及と啓蒙を意図したものであったが、この設計法はすでに定着したものと考えられ、所期の目的は達成された。、
そのような状況を踏まえ、記述の対象を耐震設計法のみに限定せず、構造計算全般に広げることにしたのが「建築物の構造規定」である。
たしかに、「構造計算指針・同解説」は一定の目的を果たしてその役割を終えたのかもしれません。
しかしどうなんでしょうか、それならば「これでやめる」という選択肢は当然あったはずなのです。それがどうして「もっとやる」になったのか?
このあたりはこちらで勝手に想像するしかありませんが、以下のような事情はあったかもしれません。
前項に述べた通り、新耐震設計法は法令と解説本をセットにして初めてその全容が分かるような仕組みになっています。ですから、ここで解説本の出版を止めてしまうと、たとえば「ルート 2-1」というような言い回しはその根拠を失い、たんなる「何となく昔から使われている慣用的な表現」ということになってしまう。だから新耐震設計法が存続している限り、解説本の出版を途絶させるわけにはいかないのではないか。・・・
それからもう一つ、すでにその頃から準備が進められていた「性能設計」「性能規定化」ということがここには関与しているような気がします。つまり、この本を「性能規定化」の足掛かりにしようとしたのではないか、ということなのですが、それを如実に表わしているのが、ここで最初に使用された「技術慣行」という言い回しです。
これについて再び「まえがき」の記述を要約すると、
「構造計算指針・同解説」では、構造計算に当たって法令上遵守すべき基準と、とくに法令に定めのない設計上の留意点が「ごっちゃ」に書かれていたが、これを区別し、後者については「技術慣行」という名前で巻末にまとめることにした
のです。
この本の「付録1 構造計算における技術慣行」の中には、学会の諸規準から引用された式があちこちに登場していますが、これ以降、設計者の間には、「建築学会の××規準の式」ではなく、「黄色本の××頁に載っている式」という認識が定着するようになりました。そしておそらくは、このあたりから黄色本と学会規準の「ねじれた関係」が始まっているのです。
それにしても、なぜこんなことをしたのか?
これを、「来たるべき性能設計の時代の足掛かりにしたかった」からではないかと私は推測します。
どういうことかというと、この「慣行」という言い回しにはじつに多様な解釈が成り立つのですが、性能設計という立場から見たならば、ここには「慣行に過ぎない」というニュアンスもある――いや、そういうニュアンスをここに込めたに違いないのです。あからさまな言い方をすれば、ここにあるのは、「性能設計の立場からすると、これらは本来設計者が決めるべき(決めてよい)事柄に属するが、参考までにいくつかの考え方を紹介しておくと・・・」というスタンスなのです。
――しかし残念ながら、実際にはそうなりませんでした。
現役で構造設計を行っている方ならば身にしみてご存じのはずですが、現在に至るまで、黄色本は(刊行者の意図がどうであれ)「主として設計を審査する人間のためのマニュアル本」として機能し続けています。その結果、ここに書かれていることはすべて、「たとえ法令でなくても、それに準ずるもの」と見なされながら今日に至っているのです。
そういう状況の中で、では、ここにある「技術慣行」とはいったい何なのか、という話になります。
おそらく多くの設計者の目には、ここで紹介されている学会規準の式は、それまでの「たんなる学会規準の式」から「法令と同等の価値があると認められた式」に目出度く格上げされたもののように映っているはず――逆に言うと、ここで取り上げられていない学会規準の考え方なり式なりは、設計者にとって「実務にはほとんど関係ないもの」になったのです。
そうなってくると当然ながら、この「技術慣行」という言い回し自体に何の意味もなくなってくるわけですが、案の定、この表現は 2007 年に撤廃されます。
(なお、この本の 1997年版 は、1995 年の阪神・淡路大震災を受けて鉄骨の柱脚やピロティ建築物に関する項を追加したもので、基本的な路線に変更は見られません。)
建築物の構造関係技術基準解説書
2001年版 の「建築物の構造関係技術基準解説書」は、基本的にはそれまでの「建築物の構造規定」の骨子を受け継いだものです。だったら名前を変える必要はないような気もしますが、ただしここには、2000 年の建築基準法改正を受けた「性能設計」「性能規定」の旗印がありますから、そのあたりを考慮して「新味」を出そうとしただけなのかもしれません。注)
当然のことながら、前項で説明した「技術慣行」という表現はここでも(予定通り)生きています。
注) 「基準」と「規準」の違い
どちらも「物事の標準」という意味でしょうが、どちらかというと、(私の個人的印象に過ぎないかもしれませんが)「基準」の方には「より根源的・抽象的」というニュアンスを、「規準」の方には「より具体的」というニュアンスを感じます。
しかし、現在の新聞紙面上ではすべて「基準」に統一されているようです。これは、「常用漢字で二様以上の表記が慣用されている語は、その一方を統一的に使う」との方針からきたものらしく、ようするに新聞社は「どちらも同じもの」と考えているんですね。
一部には、「基準」は英語の Standard 、「規準」は Criterion に相当するという説もあるようですが、これも一般的に認知されたものとは言い難く、その証拠に、学会の「規準」の英訳の題名には Standard が堂々と使われています。
ここはあまり深く考えず、国交省系列では「基準」、学会系列では「規準」の表記が昔から何となく使われ、それがそのまま今日に至っている、ということにしておくのが無難でしょう。
2007年版 は現役の黄色本で、たいていの建築構造技術者は目にしているはずです。改めて説明するまでもないでしょうが、これは同年に施行された建築基準法の改正に伴って刊行されたものです。
2007 年の法改正、及びそれを受けたこの本の眼目は(これもご存じの通り)「構造計算書の審査における判断基準の明確化」にあります。
これに伴い、2001 版まで継承されていた「技術慣行」という表現は撤廃されました。
その理由は前項で述べた通り、「技術慣行」という表現に含まれる「・・・に過ぎない」というニュアンスと「判断基準の明確化」という趣旨がまったく相容れないためです。ここではそれに代わるものとして、「技術資料」という無味無臭の表現が採用されました。
ここまで見てきたように、現在の黄色本の実質的な先祖は 1994 年に刊行された「建築物の構造規定」にあり、このあたりから「黄色本」と「学会規準」の「ねじれた関係」が始まったのだと言えます。
そして、その果てで宙ぶらりんの状態になっているのが、本年の 2 月に刊行された 2010 年版の RC 規準です。ご存じの通り、ここにある耐震壁の規定は、2007 年に公表された告示(及びそれを解説している現行の黄色本)の内容とはだいぶ違っています。注)
注)
それにしても、2007 年の告示で新設された耐震壁の開口低減率 r3 の規定というのは、20 年ほど前に出された建築学会の SRC 規準で提唱された式をそのまま持ってきたに過ぎない気もするのですが。…
このような状況ですので、2010 年版の RC 規準の Q&A 集 にも、「今回の規準にしたがって検討した場合、法律違反にならないのですか?」という投稿が掲載されています。
同様の質問は小社のプログラムのユーザーからも時々受けることがありますが、もちろん、私どもには答えることができません。しかし、ここで私自身の個人的な見解を言わせていただければ、「どちらも間違いではないのだから、どちらでもよい」としておくのが「大人の対応」だと思うし、またそれで何の支障もないような気がするのですが・・・何かあるのでしょうか?
(文責 : 野家牧雄)
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